いろ覇のFM新参者~フットボールの虜

いろ覇のFM新参者~フットボールの虜

football managerというシミュレーションゲームであれこれやっていきます。気付いたらユナイテッドの事ばかり書いてます

Sportswashingと判官贔屓

 

 

 

はじめに

 

ロシアのウクライナ侵略に対し制裁の1つとしてウラジミール・プーチン及びその側近、新興財閥(オリガルヒ)への経済制裁が西側諸国では進んでおり、プレミアリーグファンならば名前に聞き覚えがある方も多いであろうアリシェル・ウスマノフ(かつてはアーセナルの共同オーナーをつとめ、その後は持株会社を通じてエバートンに強い影響力を持っていた)はドイツのハンブルクで豪華ヨットを差し押さえられた事がニュースになっています。

 

 

イングランド・プレミアリーグチェルシーFCを2003年に買収した事で一躍世界的知名度を手にしたロマン・アブラモビッチに対してもその制裁対象となる可能性が噂されていました。アブラモビッチプーチンの関係性に関しては日本でもいくつかのスポーツメディアで『The Billionaires Club - The Unstoppable Rise of Football's Super-rich Owners』(日本語訳『億万長者サッカークラブ』著者:James Montague/翻訳:田邊雅之)という書籍からの引用、または著者のモンタギュー氏の寄稿という形で紹介されています。

 

 

ボリス・エリツィン前大統領に後継者としてプーチンを推薦したという噂もある程に当初から彼との親密な関係にあったと考えられるアブラモビッチ。英国ビザを失効するまでは高頻度でスタジアムに顔を出し、グレイザーファミリーやマイク・アシュリーらとの比較でPL内のオーナーとしては比較的良いイメージを持たれていたようにも思いますが、今振り返るとそれすら彼のイメージ戦略の1つだったように見えてくる。

 

そんな嫌な仮定を補強するかのように、00年代チェルシー黄金期のDFリーダーでありスリーライオンズでもキャプテンも務めたジョン・テリーは3月3日、『The Best』という短い言葉と共にアブラモビッチプレミアリーグ優勝トロフィーを抱えている画像をSNSに投稿しています。

 

JTにどのような意図があったかは不明で、彼の中ではアブラモビッチは純粋に良い人だったと言いたかったのかもしれませんが、今このタイミングでこのようなメッセージを広く発信する事に元オーナーの負の側面から目を背けさせる効果が少なからずあるのは疑いようのない事実。

 

もしかすると、一部のファンは唐突にクラブを取り上げられた被害者というストーリーを作り上げて憐れみを抱いているのかもしれません。しかし、ある日突然、多くのウクライナ人が自分の育った場所、コミュニティ、そして家族を奪われた今回の侵略行為に対して、その首謀者との深い繋がりがほぼ公然の事実である以上アブラモビッチに対してもその責任の一端が問われるのは当然のこと。

 

強い繋がりのあるモノ・ヒトに対しては自分でも気づかない内にどうしても正常な判断が下せなくなる場合がありますが、そんな判官贔屓にも似た感情をフットボールを使って巧みに利用する概念を言語化したものが無いかと調べてみた所、まさに当てはまったのが"Sportswashing"という造語でした。

 

 

スポーツウォッシング?

 

正直あまり聞き覚えの無い言葉だと思います。これが判断基準になるかは分かりませんが、試しにWikipediaで"Sportswashing"を検索してみると英語、ドイツ語、中国語などは存在するものの日本語版の記事はありません。

 

端的に言えば偏向報道や誤ったデータの提示などでスキャンダルや犯罪を隠すホワイトウォッシングをスポーツを利用して行う行為で、得られるプラスイメージとして考えられるのはスポーツクラブを保有し資金を投与する事でファンからの名声、地域コミュニティの中心になっている事も多いスポーツクラブを通じて自身に社会福祉への関心意欲といったものが考えられます。

 

上述のように、黒い部分から目を背けさせる目的を持ってクラブ買収を行うことや、それを国家戦略の一部として利用される危険性に対して私たちファンダムは完全なる無知、或いは薄っすらと分かっていながらも目先の成功にそそられて目を背けていたように感じています。

 

思えば、PLではチェルシー、マン・シティ、ニューカッスルと国家が背後に見え隠れする買収が複数回に渡って行われており、一部メディアではSportswashingへの警鐘を鳴らす記事もあったと記憶していますが、実際にその危険が間近に迫るまで私を含む多くのフットボールファンはそれが別次元の話であると高を括っていたのだということを痛感させられました。

 

 

スポーツの政治利用

 

理想はスポーツと政治は完全に分離され、互いが互いに影響を与える事はないという世界の構築だと思います。とはいえ、実情としてはワールドカップやオリンピックといった国際大会は勿論、地域レベルでも競技場/練習場建設をはじめ、あらゆる所で政治との関わりは切っても切り離せず、実態から目を背け「スポーツの世界に政治を持ち込むな」と神話を主張し続けるのは寧ろ政治を持ち込む側の思うつぼなのかもしれない。

 

スポーツは我々の生活の一部に溶け込んでいる以上、経済や政治との結びつきは何処かしらで存在しており、1人1人に出来る事は微力ではありますが、監査機関の設立や個人でもそれらの動向に関心を向けるなど、常に我々はあなたたちを見ているとメッセージを送り続ける事が大切。

 

泥棒は挨拶の盛んな地域を狙わないという話をどこかで聞いた事があります。

スポーツ界でも競技、クラブ、プロ・アマの垣根を越えて大きな輪で悪い企みを持ったグループが入らないように目を配り続ける事が求められる。

 

(フットボールとは関係ありませんが、私自身は目が合うや否や世間話を話しかけてくるような人を面倒に思ってしまう人間。しかし、コミュティ内の変化に敏感になる事は悪い風を立ち入らせない為に大切なのだと今回の件を考える中で改めて実感。コロナ下で大きな声を出す事は憚られますが、これからはもう少し積極的に声をかけられるようになりたい。)

 

 

(追記予定)