どうもこんにちは、いろ覇です。
昔のサッカー雑誌をふと読み返してみたら興味深い選手を見つけました。
おそらくこの選手のことを考えているのは私だけなのではないかという謎のマウンティングを取りたいくらいに皆さんの記憶の中からは抜け落ちている、またはそもそも知らない方が圧倒的多数だと思います。
イタリアの金のバケツ賞とかも結構すきだったのでその流れでこういう選手を覚えるのが楽しかった(性悪なやつ🤪)
もしこのブログを読んでくれたPSGファンの方がいらっしゃいましたらこの話を振るだけでグローリーハンターではなく古くからのファンなんだというアピールにもなるでしょう。
アルベール・バニング(Albert Baning)
生年月日:1985年3月19日
出生地:ドゥアラ(カメルーン)
身長:193㎝
ポジション:守備的ミッドフィルダー
キャリア初期
カメルーン生まれですが10代の頃に中国へ渡り、大連実徳足球倶楽部というクラブの下部組織へ入団します。
ちなみにこのチームは2012年に大連プロフェッショナルFCという同じ都市にホームタウンを持つクラブと合併して解散しています。
大連プロフェッショナルは多分旧名の大連一方のほうが分かりやすいでしょうかね。
ラファ・ベニテスがニューカッスル退任後に就任したクラブです。
このようなキャリアをたどっている為か、バニングはカメルーンの公用語であるフランス語に加え中国語と英語も話せるそう。
中国で4年を過ごしたのち、05-06シーズン途中からスイス一部(当時)のFCアーラウに加入しヨーロッパデビュー。
アーラウでは18試合で3ゴールと完全に主力として定着し、その活躍が評価されオフにはフランスの人気クラブ、パリ・サンジェルマンへステップアップを果たします。
移籍金はTransfer Marketを見るとおよそ100万ユーロとされていますが、私の手元にある雑誌の中では何故か500万ユーロという事になっていますね……(誤植か?)
この頃のパリSGは今のような無尽蔵の資金力を持つクラブでは無かったため、人気はありましたが順位は基本的に中位が定位置でした。
不安定な日々を送るチームの中でも安定して得点を重ね、05‐06、06‐07シーズンは連続してリーグ得点王に輝いています。
移籍の裏側
実はこの移籍はかなり訳あり物件で、当時、パリSGの新会長に就任したばかりであったアラン・ケイザック氏が自分の功績をアピールしたかったのか、コーチ陣に何も伝えずに獲得したという何とも杜撰な移籍でした。
一説にはこの移籍にはケイザック氏と親交のあった当時のリヨン指揮官、ジェラール・ウリエ氏の推薦があったらしく、自分のチームより敵の情報をあてにしてしまうというのも何だか寂しい話。
当時のパリ指揮官ギー・ラコンブ氏はそれまでバニングのプレーを一度も見たことが無かったと明かしています。
案の定構想外へ
彼が加入した06‐07シーズンのクラブは非常に混沌とした日々を送り、3月の代表戦期間までは降格圏に沈むなどかなり危機的状況でした。
ラコンベ監督も年が明けてすぐに成績不振が原因で解任されています
このような状況では突破口を模索するために様々な選手に機会が訪れる事が多いのですが、そんな中でもバニングは信頼を全く勝ち取れず、リーグ戦では僅か1試合の出場。
私の手元にある『ワールドサッカーダイジェストNo.243、2006‐2007シーズンのBEST PLAYER』でもリーグアンのワーストプレイヤーに選出されていました。
その後はフランスの下位ディヴィジョンを転々とし、現在はナショナル3(4部相当)のFCグーニョンというクラブに所属しています。
彼を取り上げた理由
何故バニングにスポットを当てたかというと、オリックスの育成6位で指名されたとある選手の記事を見て、「そういえば昔読んだ雑誌に似たような経緯の選手の事が載っていたなぁ」と何だか懐かしい気分になったのがきっかけです。
オリックスが26歳、164センチ、打率・155の独立L内野手を指名したワケとは…(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
興味を持って検索しようとしたら例のワードでサジェスト汚染されていたので、なにかいわく付き物件なんだろうなと調べていくと中々胡散臭い話がちらほら。
監督と衝突したから指名したという説明が編成から出てきてしまうオリックス😪
そもそもこの成績で干されるのは衝突とかではなく単純にチーム内競争に敗れているからなのでは?という疑問もありますが。
記事内で同列かのように扱われている大下選手は大学野球ではスラッガーとして名を馳せた選手だそうなので、比較対象にしてしまうのも何か心の奥で引っかかる。
まあ獲得するのに億越えの移籍金を支払ったバニングと違ってこの方は育成ドラフトなので最悪そこまでの痛手にはならないとおもいます……